十和利山熊襲撃事件|平成28年|日本クマ事件簿

本記事は書籍『クマ事件簿 〜臆病で賢い山の主は、なぜ人を襲ったのか〜』(2022年刊)の内容をエピソードごとにお読みいただけるように編集したものです。
はじめに

本稿では、明治から令和にいたるまで、クマによって起こされた死亡事故のうち、新聞など当時の文献によって一定の記録が残っている事件を取り上げている。

内容が内容ゆえに、文中には目を背けたくなるような凄惨な描写もある。それらは全て、事実をなるべく、ありのままに伝えるよう努めたためだ。そのことが読者にとって、クマに対する正しい知識を得ることにつながることを期待する。万一、山でクマに遭遇した際にも、冷静に対処するための一助となることを企図している。

本稿で触れる熊害(ゆうがい)事件は実際に起こったものばかりだが、お亡くなりになった方々に配慮し、文中では実名とは無関係のアルファベット表記とさせて頂いた。御本人、およびご遺族の方々には、謹んでお悔やみを申し上げたい。

事件データ

参考:『人狩り熊:十和利山熊襲撃事件本州最大級の惨事はなぜ起きたのか』(米田一彦著/2018[平成30]年)
発生年2016(平成28)年5・6月
現場秋田県鹿角市・青森県十和田市/十和利山・田代平
死者数4人

計8人が死亡または重軽傷
日本史上3番目の死者数

秋田県鹿角市と青森県新郷村にまたがる十和利(とわり)山の山麓で、タケノコを採りに来ていた男女が次々とツキノワグマに襲われた。4人が死亡、4人が重軽傷を負ったこの事件は、記録に残っている中では本州史上最悪、国内でも史上3番目の被害を出した獣害事件といわれている。

事件の現場となったのは、標高990mの十和利山裾野に広がる台地状の熊取平(くまとりたい)と田代平(たしろたい)で、一部はその南側に位置する大清水でも起きている。この辺りは、県内でも最も早く降雪・積雪・真冬日が観測される冬の寒さが厳しい場所だ。

第一の犠牲者となったのは、鹿角市在住のA(79歳)だ。Aは、5月20日午前7時頃、妻の手製弁当を持って熊取平へと向かった。例年5~7月に旬を迎え、山菜の中でも美味で有名な「ネマガリダケ」を採るためだ。

しかし帰宅予定だった夕方になっても戻らないため妻が警察に通報。翌21日午前6時55分頃、Aが停めていた車から約60m離れた草場で、遺体として見つかっている。警察から「数頭のクマに食われたろう。見ない方が良い」と妻が言われるほど、遺体はひどく食害されていた。

遺体が発見された同日午前中には、現場付近で同じくタケノコ採りに入った60代の夫婦もクマに襲われている。夫がゲンコツでクマの頭を叩くと逃げて行ったとのことで、幸い女性が腹部に軽いかすり傷を負っただけで済んでいる。

『秋田さきがけ新聞』2016(平成28)年5月22日

4日間で2人が死亡
ある人はクマと闘い生還

悲劇は続く。5月22日午前5時頃、秋田市在住のB(78歳)と妻F(年齢不明)は、タケノコを採るため、熊取平近くの笹藪にクマ除けの笛を吹きながら入っていった。午前7時30分頃、「クマだ! 逃げろ!」と棒でクマを牽制しながら叫ぶBの声を聞き、近くにいた妻Fは慌てて逃げたのち警察に通報。

警察到着前に妻Fが車で現場に戻ったところ、Bの姿はすでになかった。同日午後1時20分頃にBの遺体が発見された。無惨にも脇腹はえぐられ、頭部には大きな引っ掻き傷が残されていた。

『秋田さきがけ新聞』2016(平成28)年5月23日

発見されたのは、第一犠牲者であるAの現場から北に約500m離れた牧草地だった。おそらく初撃を笹藪の中で受けたあと、車を停めた林道方向に100mほど南下したが力尽きてしまったと思われる。

2件の死亡事故を受け、東北森林管理局は現場周辺の林道を約6kmにわたり通行止めにするなどの対策をとったが、残念なことに25日に3人目の犠牲者が出る。

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