石狩沼田幌新事件|大正12年|日本クマ事件簿

本記事は書籍『クマ事件簿 〜臆病で賢い山の主は、なぜ人を襲ったのか〜』(2022年刊)の内容をエピソードごとにお読みいただけるように編集したものです。
はじめに

本稿では、明治から令和にいたるまで、クマによって起こされた死亡事故のうち、新聞など当時の文献によって一定の記録が残っている事件を取り上げている。

内容が内容ゆえに、文中には目を背けたくなるような凄惨な描写もある。それらは全て、事実をなるべく、ありのままに伝えるよう努めたためだ。そのことが読者にとって、クマに対する正しい知識を得ることにつながることを期待する。万一、山でクマに遭遇した際にも、冷静に対処するための一助となることを企図している。

本稿で触れる熊害(ゆうがい)事件は実際に起こったものばかりだが、お亡くなりになった方々に配慮し、文中では実名とは無関係のアルファベット表記とさせて頂いた。御本人、およびご遺族の方々には、謹んでお悔やみを申し上げたい。

事件データ

参考:『ヒグマ:北海道の自然』(犬飼哲夫、門崎允昭/1987[昭和62]年)
発生年1923(大正12)年8月21~24日
現場北海道沼田村(現・沼田町)
死者数4人

三大悲劇の一つとされる
石狩沼田幌新事件

1923(大正12)年8月21~24日、夏の北海道沼田村幌新(ほろしん)地区(現・沼田町)にて発生した本事件は、札幌丘珠事件、三毛別ヒグマ事件とともに戦前に起きた人身事故の中でも北海道三大悲劇とされる凄惨なものであった。

三大悲劇といわれる所以の一つは、死亡者数の多さにもあるだろう。それぞれの死亡者数を記載すると、札幌丘珠事件は3人、三毛別ヒグマ事件は7人、そして本事件は4人。いずれも北海道で起きたヒグマによる人身事故である。

そのほか、日本における獣害死亡者数が3人以上の事件を挙げると、秋田十和田利山事件(4人)福岡大ワンゲル同好会事件(3人)山形戸沢村事件(3人)となる。

惨劇の内情は、もちろん死亡者数だけではとらえきれない。尊い命が失われたことに変わりはない。「石狩沼田幌新事件」も、その例にもれない。

死者4人、重傷者3人という甚大な被害者を出した本事件は、道央、空知管内の最北部に位置する、手つかずの自然、美しい山川が広がる地域で発生する。

当時の沼田町幌新地区は、その8割が原生林に覆われた土地だった。市街地や農地を除けば、多様な生物が棲息する動植物の楽園でもあった。現在もその環境は受け継がれており、田舎暮らしをする町として高い人気を誇っている。

そんな自然の色濃い平穏な地を襲った惨劇の記録は、当時の新聞をはじめ、事件関係者からの聴取によりまとめられた『熊に斃れた人々 痛ましき開拓の犠牲』(犬飼哲夫/1947[昭和22]年)、『ヒグマ 北海道の自然』犬飼哲夫・門崎充昭/1987[昭和62]年)や『ヒグマ大全』(門崎允昭/2020[令和2])年)などに残されている。これらの記録をベースにした概要は、以下のようなものである。

祭り帰りの団らんが一変
想像を絶する巨体が襲う

事件の発端は、夏も終わりに近い8月21日、深夜午後11時半過ぎの出来事だった。

この日、沼田市街地の恵比島(現・沼田町恵比島)で、年中行事の一つである太子祭が行われていた。祭見物を終えた一行が、村はずれの自宅へと向かって真っ暗な夜道を歩いていた。A(54歳)、その妻B(52歳)、長男C(17歳)、次男D(15歳)、近所の知人であるEの5人であった。

恵比島から4kmほどの地点にさしかかった時だった。

闇の中から真っ黒い大きな影が突然現れ、最後尾を歩いていたEを襲った。とたんにEの背中に鈍痛が走った。背中に受けた衝撃は、ヒグマの鋭いツメが着物の帯を強烈に引っかいたものだった。Eは驚きとともに大声を発する。前を歩いていた4人はその声を聞き、慌ててその場から走り出した。

ところが、今度は次男のDが襲われてしまう。腹部に一撃をくらい、さらにツメを突き刺され、体ごと引きずり回された。即死だった。これを見た母Bが驚愕し、足を止めてしまった。体が震え、動くことができなかった。するとヒグマがすかさずBに向かって突進してきた。この惨劇を間近で見ていたAと長男Cが、襲われている2人を救うべく無我夢中でヒグマに飛びかかった。

その間、Eはヒグマの攻撃をかわすべく必死にもがいた。攻撃を受けながらも、なんとか帯と着物を自ら引き裂き、ヒグマから離れることに成功した。

だが、ヒグマの力は彼らの想像を遥かに超えたものだった。

闇の中、狂ったようにヒグマが反撃に出た。Aが頭や背中を咬まれ、重症を負った。Cも地面にたたき伏せられた。重傷を負いながらも、AとBはEに助けられた。3人は無我夢中でヒグマから逃げた。ヒグマに追われながらも、現場近くに居を構える農家のF宅へなんとか飛び込むことができた。

逃げきれず屋内に侵入され
戸外へ引きずり出される

ヒグマは執念深く、逃げる人々を猛然と追いかけてきた。自分の獲物と認識したヒグマの獲物に対する執着心は恐ろしいほど強いという。F宅の前まで来ると、ヒグマは窓に両手をかけて中を覗き込み、今にも屋内へ入ろうと息を荒げていた。

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